過去という概念

2024年11月28日

非二元という真理にもとづくと、過去も未来もなく、わたしたちには「いま」しかない。

過去も未来も幻想で、なんなら肉体も、死も無いんだよーと。言っている。

でも、わたしたちにはこの世界を体験するための肉体を持っている。

肉体は私たちの本質ではなく、真理からすると幻想。でも持っている。この物質世界では必要不可欠なもの。

そして肉体は、空間を必要とする。と同時に時間も必要となる。

物質と空間と時間というのはセットのようなもの。

肉体を持ったからには、この世界にある空間を、端から端まで行けるとこまで駆け抜けて目一杯体験し尽くしていい。

時間も、過去も未来もじゅうぶんに堪能して、懐かしい思い出にひたったり、まだ見ぬ未来へ想いを馳せてわくわくしていい。

人間であること、地球上でこの親しみのある体というのを持っていることをじゅうぶんに味わっていい。


真理を探究する道すがらは、往々にしてとらわれてしまうことがある。

でも、何も否定しなくていい。でも否定したい気持ちに気付いたらそれを見てあげて欲しい。

そしてその道から見える景色は、移り変わっていく。


未来を想像してわくわくしたら、やる気がでてくるかもしれない。

過去を思って後悔したのなら、いまから再スタートをきれるかもしれない。


真理を掴もうとする道のなかばで触れる言葉に、もし自分の心が不自由を感じたら、立ち止まってみたらいい。

真理は愛に根付いているから、真理それ自体が自分を苦しめたり、自由を与えることはあっても奪ってしまうことは 無い。

でももし、今の自分がそこから愛を見出すことができなかったり、それを印籠に誰かや自分を責めたくなったとしたら、立ち止まって、その抵抗を感じてみるといい。

愛という真理と、自我という恐れが土台のこの社会で生きてきた私たちは、このふたつをすり合わせていく時、それはそれはたくさんの疑問と抵抗が生まれる。愛と恐れは相反していて、それをすり合わせようとしているのだから当然のこと。

これはどういう意味?こう考えてはいけないのよね?これは間違ってるよね?こう感じたらおかしいよね?

すり合わせていく時にうまれる疑問と抵抗をスルーしない。丁寧に見ていく。ひとつひとつ。


それは何のためにあるか?これにつきる。そしてそのためにこの世界にある幻想は利用していい。おおいに。ううん。利用するためにある。

肉体は、この世界を体験したことをマインドに渡して、マインドは肉体を通して得た体験から生じた感情を拾う。

肉体がないと、つまり五官(五感)にはじまる肉体の主な働きがあって私たちはこの世界を経験することができる。

それは、感じる。そして癒されるという経験をするためには無くてはならない存在。

空間も時間も、時に私たちの心を癒す。

過去は無いけれど、過去という概念の中に私たちの傷を癒してくれるものがあるならば、それは採用していい。

なぜなら人間の心は、癒されていくなかで少しずつ真理が見えてくるから。癒されないと真理は見えてこないから。

ヒプノのセッションをさせて頂いていると、「過去だからこそ感じきることができる」「過去だから振り返ることができる」と思わざるを得ないことが多々ある。

 「いま」というリアルタイムの最中では、恐れという抵抗にあって、感じることができないことがあるから。

心が癒される前に真理の言葉に何度触れても、その言葉が本当に意味することを体得することはできない。

だから、それが真理と書かれていてもその枠に自分を常に縛りつけておいたままにしないで。

癒されてからその言葉に再び出会うと、以前とは違う見通しの良い景色が広がっているから。


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