【欠如】から始まる自我(エゴ)の世界③

2025年02月20日

前回の続きです。

エゴ(自我)は、自分自身を肯定できないからこそ恐れている-。

自分は弱いんだと恐れているとき、自分自身をネガティブに感じているとき、他者は強い存在だと怯えます。

逆に弱い自分を認めたくないとき、目をそむけたいとき、認めたらどうにかなってしまいそうなとき、自身にそれを見たくないので、他者に投影しほっと安堵するか同情します。

【欠如】【恐れ】から派生したあらゆるものを、自分に見て、他者に見て、そして世界に見ていきます。

 恐れに覆われるエゴがすることは、自分の肉体的マインド的な危機的状況・情報のキャッチ、つまり【恐れ】への警戒と、それに対する防御と攻撃です。

 恐れがなによりの脅威なので、わたしたちはあらゆる恐れに対する情報を全身で取り込み、そして学びます。

 全身でというのは大袈裟ではなく、肉体に備わるすべての感覚器官でその情報を収集し記憶し、エゴは自分のなかにある貯蔵庫に備えることができるからです。

 それは、自分の身におきた実体験だけではなく、両親や先生や友達、周囲から聞いた情報、ニュースやテレビから流れる遠い場所での出来事さえも、耳で目で肌でその時の雰囲気すら取り込み、無意識下に記憶することを意味します。

 そしてその過去の情報をもとに、それに似た情報を知覚が捉えたとき、エゴのマインドは危機的状況と察知判断し、自分を守るために防御か攻撃かもしくは恐れから怯えフリーズするという選択をするのです。

 攻撃は最大の防御という言葉がありますが、恐れを回避するための選択という意味では、攻撃も防御も同じなのです。

 ただそこに、恐れというエネルギーがある–ということです。

恐れという言葉を普段あまり使わない人にとってはピンとこないかもしれませんが、わたしたちは、自分がネガティブと感じたことに対して自動的に恐れを持ちます。

 固有の肉体とマインドという自我(エゴ)を持つわたしたち全員が、無意識下に根深く保持しているのがこの【恐れ】のエネルギーです。

 防御と攻撃が蓋をあければどちらも同じエネルギーなように、恐れというエネルギーは様々なものに変貌が可能です。

 恐れからきているとは思えないような姿で現れ、私たちを惑わさせ、その原点が恐れであることにたどり着くことを難しくさせます。

 だから、【それは私の持つ恐れが原因なのではなく、別の何かが原因だ】と、目の前にある対象、事象に原因があるかのように私たちはいとも簡単に、見えるものに欠如を、恐れを、すり替える=投影させているのです。

 エゴの持つ狭い領域の解釈で、この恐れのエネルギーは世界のまさにいたるところで、いまも数え切れないほどにキャッチボールされています。

 

 エゴからすると「わたし」はひとりであるのに対して、わたし以外の対象は無数に存在します。わたしはわたし以外の対象に意識が向き、捉えようとします。それもエゴの防御であり、意識の仕組みの一端です。

 エゴが集めてくる情報が蓄積されればされるほどに、「わたし」を危機的状況にもたらすのは、わたし以外のもので、わたしはその脅威から守らなければならない。

 もしくはその対象との間に不具合を生じないような自分でいなければならないと、わたしたちのエゴは無意識下で外側に対する警戒を続けています。

 気付くとわたしたちは、外側にばかり注視しそして疲弊してしまうことで、自己の内側を見る、内側で本当は何を感じているのか、何を怖がっているのか、本当はどうしたいのかといった、自分自身の気持ちに矢印を向けるという余力を、いつの間にか失っていったのかもしれません。

 または、疲弊した自分を少しでも心地良い気分にさせるため、いっときでも気持ちを紛らわせるために、自分に安堵をもたらしてくれる【対象】を常に外側に求めてしまっているのかもしれません。普及したスマホは、まさにその道具として万能ともいえます。

 だからこそ、わたしたちは、自分自身とは何か?と問う価値があるのです。
 わたしたちは、肉体・エゴ(自我)ではありません。それは持ち物であり、わたしたちの本質ではないという根幹の認識が、恐れの世界そのすべてをひっくり返してくれる最初のスタート地点になるのです。

 そこに立ち、わたしたちの心と意識の仕組みに何度も触れながら、エゴと一体化した自己を癒していくことで、その性質と傾向、システムを少しずつ俯瞰して眺めることが可能になります。
 ゆっくりと雨雲がやさしく消えていき、そのスペースに太陽の光が射していくように、癒しが無理なく徐々にすすんでいくと、欠如から保持してきた【恐れ】が癒されたあとに本質の【愛】に還る―という、この世界の本来の筋書きが、ようやく見えてくるのです。

 それは、自己の本質を一度忘れ、物質世界で肉体と共に体験を重ねることで、そのマインドにたくさんの感情を発生させるという、時間と空間と対象が織りなすストーリー上で、初めから展開されていたのです。

 エゴが持ち続けてきた恐れから、わたしたちの本質である愛へ。
その架け橋の役目を何度も何度もしてくれるのが、いつもそこにあるわたしたちの【感情】なのです。


感謝をこめて


MARI

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