感じる先にあるもの

2024年01月18日

遅くなりましたが、今年もどうぞよろしくお願いします。

時代の変化を肌で感じています。

この世界は変化する世界です。

時代の変化とは、社会の変化です。
社会の変化とは、わたしたちひとりひとりの心の在りようの変化です。

ひとりひとりが、何を見てどんな出来事に対してどう感じているか━、が集団意識の一粒となり社会のマインドが作られていきます。

昔は何の反応も起きなかったものが、今は不快感情を呼び起こし、拒絶され被弾される。それもわたしたちの心(自我=小さな自分)の変化からなる社会の時代の変化です。


年明けのニュースから派生して「人よりシステム」というワードが心に残っています。

個人ではなく、そこに起因したシステムを見返す。見つめる。改善策がないか探す。と捉えました。

本質という点からみても真を得ていると感じます。起きた出来事を広い視野で俯瞰的に真実だけを見ることができれば、それが理解できます。

まさに心の仕組み・感情の仕組み、つまり私たちの心のシステムを理解すればそのこたえしかありません。

システムを知らなければ、異なる個人の感情だけが、目の前の出来事に対するジャッジの材料になります。

その感情は、個々の過去見聞き経験した出来事が大きな影響を受けています。過去のデータが統合され、瞬時に電流が走るかのごとく導き出されています。それが感情というエネルギーです。

感情をコントロールしたい!しなければいけない。といった言葉を見聞きしますが、感情が発生する瞬間を目撃できれば、感情とはコントロールできるものではないことが分かります。

感情は、個人の希望や意思とは関係なく自然発生するものです。沸き起こる感情のあとに希望や意思は付随されます。感情をつかさどる領域が無意識下(潜在意識)にあることからもそれが分かります。

同じ出来事を見たり経験しても、自身と感じ方が異なるのは過去の経験(とそれによる観念)が違うためであり、その自然発生する感情は私たちが様々感じるために個々に発生します。

ただし、その感情がその人にとって不快であるとき、特にショックが大きい出来事に感覚が触れた時、つまり不快と感じるエネルギー=大きな電流が自身の中を通ろうとするとき、私たちは冷静さを欠き混乱します。その出来事を受け入れることを咄嗟に難しく感じているのです。

その不快なエネルギーに触れたとき、怒りという表現の形になって表れる人は、内側で抵抗し暴れているのかもしれません。

じっと黙り静かにフリーズしている人は、そのエネルギーが嫌なあまり、自身を通ろうとするその電流を受け入れきれず、背中を向けてそれ自体をとっさに避けて無視しようとしているのかもしれません。

不快なあまり、とにかくこの場を一刻も早くなんとかしなければと取り繕って、自身を通ろうとする感情とは裏腹に、毅然なふりをしたり模範的行動をとったり、普段と同じ言動をとったり、逆に笑いだしたりする人もいます。

また、ショックが大きいゆえに自分のあらゆる感覚器官が外的刺激から身を守るために注視される目的に働き、自分の内側に向ける矢印が一本も無くなってしまうことで、今起こっていることによって自分は何を感じているのかという、 自分の感情が分からない。という人もいます。

それらは自然発生し、自身の中を通ろうとする不快な感情エネルギーに対する反応なのです。瞬時になされる咄嗟の対処であり、その対処をしているその時、自分の感情━自分の中を通ろうとしている感情エネルギーを感じてはいないのです。感じる前に感じることに抵抗しているのです。

その時、その出来事のさなかでは感じることができないのです。

その感情は、その時点で自身に触れはしたものの、嫌悪感から遠ざけ、もしくは無視、または抑圧されて自分自身の中を通ってはおらず、自分のモノになっていないのです。

感じる前になされる反応は、いわば過去からなる予測で、イメージで、幻想ともいえます。

その出来事自体を、見ることが出来ていないのです。その瞬間、わたしたちは過去から生まれた観念に反応しています。

そしてそれは、幻想でありイメージであるという性質ゆえに無意識に繰り返されています。

発生した感情のコントロールが難しいと感じている方の多くが、実はこの反応、対処のほうなのです。