この世界の果て

2024年08月08日

学生の頃、友人が借りてきた数枚の映画のDVDのうちの一枚。それを鑑賞したときの衝撃、その時の感覚を今でも鮮明に覚えている。

その日は、何名かの友人たちと夜通し映画鑑賞をすることになり、一晩で何本か観たはずなのだけれど、私は他の作品がなんだったか、まったく思いだせないでいるまま。ただ、この作品だけが、私にものすごく刺さったのだ。

その映画は、1998年ジム・キャリー主演の「トゥルーマン・ショー」という作品で、映画をそれほど身近に感じていなかった私は、事前情報がまったくない状態で、その映画のDVDを、当時の狭い東京の下町の私の部屋で友人たちとぎゅうぎゅうになりながら鑑賞した。

いまから20年以上も前の有名な作品なので観た方も多くいるだろうと思うけれど。あの時、二十歳になるかならないかの私は、あの映画に描かれていたものが、なぜだかものすごくショッキングだったのだ。悲しいという意味ではなく、まさにどーんと雷が落ちたような衝撃という感じ。

当時、その理由ははっきりとは分からなかった。言葉にはできなかったけれど、胸に、心に、言い知れぬ戦慄のような不気味さ、後味の悪さ、そしてなぜだかものすごく光のようなものを感じていて、そのアンバランスさも相まって、鑑賞後もずっとその衝撃が消化できなかったのかもしれない。

観ていない方がいらっしゃったら、このあとはぜひ観てから読んで欲しいとも思います。

 


久しぶりに検索してみると、あらすじには、

 【離島の町シーヘブンで生まれ育った男トゥルーマン。保険会社で働きながら、しっかり者の妻メリルと平穏な毎日を送る彼には、本人だけが知らない驚きの事実があった。実はトゥルーマンは生まれた時から毎日24時間すべてをテレビ番組「トゥルーマン・ショー」で生中継されており、彼が暮らす町は巨大なセット、住人も妻や親友に至るまで全員が俳優なのだ。自分が生きる世界に違和感を抱き始めた彼は、真実を突き止めようと奔走するが……。人生のすべてをテレビのリアリティショーで生中継されていた男を描いたコメディドラマ。】

今でこそリアリティショーが溢れているけれど、映画が進むにつれて明かされる目撃する者と目撃される者の描写。

目撃する者にとってはエンターテイメントのひとつ。

目撃されていることに気付きはじめたトゥルーマンの奔走と葛藤。 

そして自分が生きてきた世界はすべて用意された作り物で、見かけ上のものに過ぎなかったという真実。

離島ゆえに、脱出しようと漕ぎ出す船がぶつかったのは大型のパネル写真。

他者に作られたあらゆるものに囲まれ、それが本当の世界だと思い込んでいた。

離島から脱出できないよう仕込まれていたため、自分の世界の果てとなっていたものが、写真パネルの景色だったことを自分の目で確かめた彼が、その枠から自ら出て行く。その枠の外には、作り物ではない本当の世界が拡がっているのだろう。今まで足を踏み入れたことのない世界があるということが示唆されていく。

当時、わたしはこの映画で描かれていた「作り出された世界」というのに、その時は言葉にできない何か。だったが、この世界の真理を感じたのだろうと思います。そしてその架空の世界から、真実を突き止め奔走し脱出しようとする主人公に、わたしの心の奥そこにあるものが反応した。そう感じています。

∞∞∞

ありのままを見ることができないのが人間なんだと知ったら、

そこからようやく本当の世界、本当の自分、本当の私たちの本質、愛を見る準備ができる。


愛をこめて

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