一年の終わりに話したいこと
今年も間もなく終わり、新しい一年が始まりますね。
節目というこの世界の区切り。嫌いじゃないです。むしろ好きです。
でも、幼い頃から感じていました。
今日と明日で何が違うの?って。
草花や車、近所のわんちゃんや食器やおうち(建物)や鉛筆にとっては、大晦日も元旦もまったく関係なく、いつもの毎日なんだろうにな。って。
大晦日と元旦で、昨日と同じ時間に同じ道を歩いても、その景色自体はなんにも変わっていないのに、まったく違う景色を見ているのか。それとも、見せられているのか。いや、見ないといけないと思い込んでいるのか。それとも、同じ景色をみんなで見ているのか、はたまた見ないといけないのか。
こんな風に言語化はできませんでしたが、思っていました。
「いつもと違うってわくわくするし特別って感じいいね!みんなもいつもと違う顔、行動、過ごし方。なんか楽しいな!うん特別を楽しみたい!でもさ、【お正月】を知らなければ、昨日とおなじ景色だよね。違う?」
そんな感じでした。
幼いながらに、分からないながらにも【意識】というのを漠然と捉えようとしていたんだろうなと今感じています。
これを書きながらも、笑みがこぼれてしまうくらいですが、身近な大人や、自分の居る世界が、大晦日・お正月・元旦・年末年始といったワードに溶け込んでいるような中で、わたしは、些細ながら抵抗というか疑問というか、本当のところはどうなっているんだ?私はいつか知りたいんだよね。といったような眼差しを持ちながら周囲と世界と自分自身を見ていた。そんな気がします。
あらゆる枠がわたしたちの共通認識として、この世界を物語っています。
あれは空。あれはテーブル。あれはソファ。あれは親。これが子供。あっちは先生。これは友達。一週間。一か月。一年。
朝が来て、夜も来る。時間があって、場所があって、物質があって、肉体と心があって。
こうしたあらゆる枠=決め事があり、それを土台とした文字通り【物語】が生まれるのがこの世界です。
私たちひとりひとりがキャストであり、そのキャストの背景=テーマ=持って生まれた素材と、「わたし」以外のあらゆるものとの触れ合いによって化学反応が生まれ、感情が発生し、周囲と共にストーリーが次々と織りなされていきます。
物語には欠かせない喜怒哀楽。起承転結。すべてはストーリーで、ひとりひとりがいつの間にか生まれながらのキャストです。
舞台上で様々な舞台装置がストーリーを支え、自分以外のあらゆるモノと触れ合い、自己の内側から自然と発生する感情を捉え、自分のなかを流れることをゆるしたとき、十分に体感します。
そうして「わたし」というひとりの人物に発生する感情を受け入れて認めていくなかで、必ず「わたし」というキャストのテーマがあぶりだされていくでしょう。それはストーリー上では、【過去】という概念のなかでもわたしたちに親しみを持たせてくれます。
過去が清算され癒されていくと「わたし」の内側に在ったテーマが消失し、「わたし」にとっての世界が変化します。
そして「わたし」以外のあらゆるモノと触れ合ったときの化学反応にも、当然変化が起こります。
その世界に体感が慣れてくると、今度は、本当はキャストでもなかったというのがしっくりくる感覚がおとずれることがあります。
わたしたちという本質は、愛という大きなものに包まれた純粋意識。
そのすべてを包括する愛そのものという意識と、自我・小我というひとつの人間=肉体&マインドに閉じ込められた意識。
これらの意識のあいだを行ったり来たりしながら、おとずれるのはやはりとことん、感情と気付き。
【わたしたちは、何を見るか自分自身で選択している】
昔、この言葉に出会ったときに抵抗を感じたのを覚えています。そんなわけない。誰が好き好んでこんな現実を選ぶというのか。と感じたからです。
確かにそうとも言うことができますし、その言葉の真意も理解しています。が、私のなかで補足するのなら、【選択させられている】のです。
決して、「これもきっとわたしが選んでいるのだから… 」と背負わなくていいんです。
「これを自分で選んでいるってどういうことなんだろう。」と仕組みへの興味関心に向かうことで、それは大きな変容の扉へと誘います。
生まれながらに内側にテーマを抱えたキャストであるわたしたちに、あらゆる感情・反応の選択の余地がないのです。
「わたし」を作り、織りなしているもの=心と体はどんなシステムかという叡智に手を伸ばし、個人という狭い意識から飛び出すには「わたし」が内側に抱えるものへの【癒し】が必要になります。
意識を「わたし」に閉じ込めているのが、癒えていない傷を負いそこに執着・固執した【わたしという感情】だからです。
じゅうぶんに癒し、その感情を流し解放しながら、「わたし」とこの世界を少し高い場所から見ることができたとき、徐々に【選択させられて見せられている感情&世界】から、【自ら選択する世界】へと切り替わっていくのです。
そこに広がるのは【本当の自由と愛】です。
いま、自身が自由ではないこと、満ち足りた愛で成り立っていないことを感じていなければ、真の自由にも愛にも手を伸ばすことはできない。そう感じます。
そのタイミングがいつおとずれるか。それすらも自己の手の内にはないのです。ただ、そのチャンスはあふれています。
内側におとずれる感情と気付きを捉えてあげるには、矢印を外側ではなく内側に向けて過ごすことです。
その時を迎えた人が、心の仕組みを知り、自身の生活と共に発生する感情に目を向け癒していきながら、本当の自由と本質の愛を体感していく。
陰ながら、来年もそのお手伝いができることを、心より嬉しく思います。
混沌とした世界、殺伐とした世界、目を覆いたくなる世界。
世界を通して常に自己を知ることができます。
「わたし、人のことが嫌いなんです。…でも本当は好き、なんだと思います。」
以前セッションにいらしてくださった方が伝えてくれた言葉です。その正直で、まっすぐな言葉に込められた想いに、わたしの心も一緒に振動しました。
私も昔、そんな想いを抱えて手を伸ばしたひとりだからです。
愛を奇跡を見たい。 そう望む全ての人へ、愛は、光は、神さまは、必ず手を差し出してくれます。なぜなら向こうはずっとそれを喜んで待っているからです。
来年もきっと、泣いたり笑ったりしながら、ひとりひとりの「わたし」を通して心が震えるたくさんの感情に多くの人が出会うでしょう。
そのひとつひとつの感情の出会いが、沢山の人々にとっての癒しになりますように。
心をこめて。
今年もありがとうございました。
来年もすべての方にとってきっと素敵な一年になりますように。
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